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更新日:2021年3月23日

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第2日(3)

発言者

桂  弘一

発言内容

再 開 午前10時50分
○議長(永野利則君)
 休憩前に引き続き会議を開きます。
 次に、桂弘一君の一般質問を許します。
○11番(桂 弘一君)
 皆さん、こんにちは。議席番号11番、総務文教委員、桂弘一です。
 私は、令和2年第1回定例会に一般質問を通告してありますので、通告に従って教育行政について3点質問します。
 ①学校運営協議会設置に向けて、本町においても具体的な行動計画の策定時期に来ていると思うが、教育長はどのように考えているか。
 ②教育委員会の重点施策の中に郷土教育・伝統文化教育の推進とあるが、どのような活動内容なのか。
 ③1月に和泊・知名町両町と沖縄県今帰仁村との友好都市協定が締結されたが、教育行政としてはどのように関わっていく考えなのか。また、新たな試みは計画されているか。
 壇上からは以上でございます。
 なお、質問趣旨及び細かな個別の質問においては、質問席からとさせていただきます。
○教育委員会教育長(竹下安秀君)
 桂弘一議員の1点目、学校運営協議会設置に向けて、本町においても具体的な行動計画の策定時期に来ていると思うが、教育長はどのように考えているかのご質問にお答えいたします。
 学校運営協議会制度、コミュニティスクールについては、学校と保護者や地域の皆さんが共に知恵を出し合い、学校運営に意見を反映させることで子どもたちの健やかな成長を支え、地域と共にある学校づくりを進める法律、地教行法第47条の6に基づいた仕組みです。
 国は、学校運営協議会制度の導入に向けて努力義務化やその役割の充実などを内容とする法律の改正などの整備を進めてきており、将来的には全ての公立学校での導入を目指しております。
 本町においても、この制度の導入に向けて教育委員会などで情報を収集し、議論を重ね、制度の内容についての理解を深めてきました。
 具体的な行動計画の策定については、学校、家庭、地域での理解を深める機会をこれまで以上に増やすとともに、総合教育会議での検討も踏まえた上で、導入に向けての行動計画の策定に取り組んでいく考えです。
 次に、2点目の重点施策の中に郷土教育・伝統文化教育の推進とあるが、どのような活動内容なのかのご質問にお答えいたします。
 和泊町の教育の基本目標は「あしたをひらく心豊かでたくましい人づくり・文化づくり」であります。そのための目指す姿として、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する態度を養い、これからの社会づくりに貢献できる人間を掲げています。
 議員ご質問の郷土教育・伝統文化教育の推進について、具体的に説明いたします。
 ①町内の各学校では、郷土教育の全体計画に基づいて、郷土の自然や歴史、文化財を学ぶことにより郷土のよさを感じ、郷土に誇りを持つ教育を推進しています。
 ②本町の特色ある教育としましては、郷土で育てる肝心(ちむぐくる)の教育があります。そこでは、西郷南洲翁をはじめ、玉江末駒翁や市来政敏翁などの郷土の先人の教え、茶道を通した日本文化や礼節などを学んでいます。学習の場は学校内だけではなく、歴史観光交流館や歴史民俗資料館も利用しています。今後は、世之主の墓などの史跡等の見学も加えていく予定です。
 ③伝統文化教育としましては、校区や地域に伝わる伝統芸能や三味線演奏など、地域の方々を講師に招いて学習を進めています。
 ④最近では、国立国語研究所の協力も得ながら、しまむにを学校生活や地域の活動の中で使う機会も多くしています。先日は、子ども会大会の各字の活動報告でも多くの子どもたちがしまむにを使って元気よく発表していました。
 今後も郷土に愛着を持ち、郷土に誇りを持てる子どもの育成に努めていきたいと考えております。
 3点目のご質問にお答えいたします。
 去る1月31日に今帰仁村において本町、知名町及び沖縄県今帰仁村の2町1村による友好都市締結の調印式が行われたところです。その協定書には、教育行政に関する事項が2点記載されています。1点目は青少年の相互交流、2点目は文化・教育・スポーツに関する交流及び連携であります。
 これまで、平成27年度からわらんちゃヤンバル体験交流プロジェクトとして今帰仁村の子どもたちと交流を深めてまいりました。今後は、子どもたちの相互交流、伝統芸能などの文化・スポーツ大会への参加などが進展できるように今帰仁村と連携して取り組んでまいります。
 また、昨年度、沖縄からの観光客を呼び込むために、世之主に関するガイドブックを発刊し、世之主の物語や今帰仁村との関係も掲載されております。
 この城跡を観光資源として整備するためには、発掘調査が不可欠であります。現在、沖永良部島の古墓、古墓群調査を行っておりますが、城跡の調査につきましては、古墓群調査の進捗状況を考慮した上で、実施できるか調整を図ってまいります。
 次に、新たな試みとしましては、わらんちゃヤンバル体験交流プロジェクトに知名町合同で沖永良部島としての交流を考えているところです。
 今後、知名町と協議を重ね、合同での交流ができる体制が整った時点から今帰仁村との交流を深め、将来を担う子どもたちの人材育成につながるように取り組んでまいります。
 以上でございます。
○11番(桂 弘一君)
 我々総務文教委員会は、所管事務調査ということで、体育館建設、それと体育館の空調設備について、タブレット端末の議会での利活用について、それとこの学校運営協議会ということで1月末に所管事務調査に行ってまいりました。教育委員会の局長も同行したところです。
 体育館については、場所、規模、機能、予算、全ての面でまだ決まっていない、白紙ということで、先行的な勉強ということでした。また、タブレット端末については、まだ執行部が具体的には決まっていないと。議会だけ先行ということになると、まだその活用が十分に生かされないのじゃないかなというような結論を自分の中では出したところです。
 まだこの2点については先の話になりますんで、今回は所管事務調査の中から教育行政の学校運営協議会設置に向けてについて質問を通告してあります。
 昨日の同僚議員の質問にも、導入に向けて進めていくという回答がありました。しかし、その導入に向けて進めていくという回答は、私としては回答になっていないんじゃないのかなというふうに思うところです。国から導入の努力義務が課されているわけだから、わざわざ導入に向けてというようなことは要らないんじゃないのか。むしろ導入に向けての、いつ始めていくのかというような工程、ロードマップというか、そういったものを具体的に検討して我々に示していくという時期に来ているんじゃないのかなというふうに思うところです。
 教育長にお伺いしたいんですが、導入に向けてというふうに方向性が決まったんであれば、いつ頃やるのかというところも同時に決めていかないと物事は進んでいかないのかなというふうに思っておりますが、私の個人的な意見としては、来年度は無理にしても、再来年度、令和3年にはもうできるんじゃないのかなというふうに思っております。
 教育長、いつ頃、時間を切って、令和3年4月からはスタートするんだというようなお考えはないのかどうか、お尋ねいたします。
○教育委員会教育長(竹下安秀君)
 このコミュニティスクールの導入に当たっては、いろいろと教育委員会の会議でも議論してきた結果、合意を得られた、それでいこうということで合意形成が図れたということ、また校長研修会とか教頭研修会などの会合でもそのことを話題にしてきました。特段のそのことに関する、導入に関する異議も特段なかったと。
 また、先日、総合教育会議でもこれを議題にして話し合ったところ、設置、導入に向けての計画を進めることで合意ができたと、そのようなことから、導入の方向でということで動き出したわけなんですけれども、今、いつからかというご質問ですが、令和2年度はそのための準備を進めて、教育委員会がつくるべき規約などをつくったり、またその理解を広く学校職員、地域にも広報も必要ですし、令和3年度4月からは導入できるんじゃないかと考えているところなんですけれども、それも全ての学校一斉にという考えもあろうかと思いますけれども、令和2年度でもその体制が早く整えば、準備ができたところから、一斉の導入でなくても、小規模校、準備ができたところから順次導入していきたいと考えております。
○11番(桂 弘一君)
 非常に前向きな答弁をいただきました。是非早急な設置をというふうにお願いしたいところです。
 南さつまで学校運営協議会、コミュニティスクールの予算なり、なぜ和泊町がなかなか進まないのかというようなところで質疑応答をちょっと、そこの教育課長が島内出身、国頭出身、また以前小学校の教頭先生されていた女性の方が担当だということで、長い時間を取っていただきました。
 その中で、最後に、和泊町さんはなぜやらないんですかというふうに聞かれたときに、答えに詰まったんですね、私。いや、教育委員会が合議の場であるということを聞いているんで、反対者が多いということじゃないですかという話をしました。そうしたら、すぐ総合教育会議、町のトップが決めればいいんじゃないかということで、町長に話してみたらどうですかということだったんですが、一般質問を終えた後に平場の中で、そういう具体的な回答が得られなければ、そういう話を持っていこうかというふうに思っておりましたが、今、教育長から、そういったことに対する全ての具体的な回答が得られましたので、学校運営協議会の設置に向けての質問は以上とさせていただきます。
 2点目の重点施策の中に郷土教育・伝統文化教育の推進とあるが、どのような活動内容なのかというような質問をしましたが、具体的な答弁をいただきました。
 今、地方創生、まちづくり、地域活性ということでも、小学校、中学校から地域学の必要性が言われています。教育長も一緒に永良部高校で、知名のほうで沖ノ島の地域活性に関わったフジオカさんでしたか、の講演を聞いたところです。
 そこで、彼らが言うには、アイデンティティというか、その地域に生きる自分たちは何者なのかというところから始まらないと、いきなり文化的な土壌がないところに何か新しいものを持ってきてもうまくいかないんだと。そういうことで1万年ぐらい前まで我々は遡るんですよということでした。
 そういった意味では、以前から和泊町の歴史を語るときには世之主と西郷先生ということを教えているということだったんですが、以前、私、一般質問の中に、西郷という人は大偉人で、大怪物で、大英傑な人だと、それはもう皆分かるんだということで、その人を、そういう貴重な教育を和泊に持ってくるには、大偉人だということで認める、その教養度が島にあって、そしてそういったことを西郷を語りながら教えていくべきじゃないかなというふうに質問をしたところです。
 私は、かねがね、本では読んでいなかったんですが、いろいろなことを自分の頭の中で想定する中で、土持政照氏が西郷を助けたと。そして、彼から学ぶべきものがあるということで、島の学生たち、子弟を集めて学ばせたということにおいては、土持政照だけじゃなくて、彼のその行動、思いを実現させるにおいて許す、そうだ、そうだというふうに許す環境があったんじゃないのかなというふうに常々思っていたんですが、この間、歴民館に行ったときに、和泊の先進性はどこから来ているのか、教育の町と言われるのはどこから来ているのか、教育の町宣言に至った経緯、そういったもの、その流れの部分が分かる本はないですかというふうに先田先生にお尋ねしましたら、こういう本があるよということで頂いたんですが、私はその本を読んで非常に誇りとするというか、何か心が燃えるという部分があったのは、明治維新になったときに、大島郡の中では和泊町はもう一番の教育、教養度の高さがあったと。
 それはなぜかというところでいきますと、もう江戸中期よりはちょっと後ろのほうなんですが、竹夏鼎用さんという方が和漢を学び、与人としながら、島の人、その人が最初に塾を開いて教えたというところから、島にはその当時から、ちょっとお待ちくださいね、島には遠島人がいて、その人たちはもう刑事犯ではなくて政治犯ということで、それなりの教養度のある人たちが島に送られたと。そういった中で、島では自分たちの食べ物は自分で稼がなきゃいけないということで、いろいろなところで塾を開いたみたいです。和の紀平右衛門、内城では曾木藤太郎さんとか、喜美留では児玉萬兵衛、皆川では竹ノ内助市、皆川で同じく平富里、皆川・国頭で市田忠太郎、畦布で萩原籐七というふうに、もう明治になる前からそうした人たちが塾を開いていたと。
 また、島の人たち、島の知識人の中でも、和泊で塾を開いた学者たちということで、竹夏鼎用、竹夏鼎幹、操担晋、沖島曽勲、栄寿鳳、撰玄磧、安藤佳竹、鎌田宗圓、手々知名で町右左則、沖蘇廷良、龍真玉橋、玉江福村、矢野忠正と。内城で塾を開いた学者たちということで、宗平安統、豊山真粋敏、甲文郁、宗平安隆と。これ明治維新になる前からそういった塾を開いていて、西郷が来たときには、その中の優秀な人たちを西郷に学ばせたということですよね。
 私は、その明治の維新になる前、いわゆる植民地というか、直轄領で本土の士農工商にも入っていない我々の島で、まず本土でも通じる、沖縄でも通じると、そういう人がいて、島の教育が大島随一だったというところを聞いたときに、物すごく誇りに思う部分があったわけですよ。
 私が言いたいのは、子どもたちにその地域学の中で、我々はそういう先進のある町、そういったことでつくられた真面目さ、勤勉な町民性、そういった中で生まれているんだということと、そのことに誇りを持たなきゃいけないということと、いい悪いは別にして、そういった文化、そういったものは継承していかなきゃいけないんだというところを教えるところから地方創生は始まるのかなというふうに思っているんですが、教育長、重点的にその辺のところをつくって、そういった学べるものをつくっていくということが必要なのかなというふうに思っているんですが、教育長の見解をお聞かせ願えますか。
○教育委員会教育長(竹下安秀君)
 今、桂議員がおっしゃったことは、もう明治維新、江戸時代の末期、その辺りからこの沖永良部島には和泊町、もちろんその前ですけれども、この島から遠島人としてここに渡った人たちが塾を開いて、江戸時代、寺子屋とか日本各地にもあったんだけれども、日本全国の主な地方の人口の割にすると、この永良部島は塾の数で日本一だと、そういったのが玉起寿芳先生が永良部の教育について書かれた冊子の中に、先ほど桂議員から塾を開いた人のお名前の紹介もありましたけれども、この永良部の島というのは非常に一般の人たちの文化教養の度合いが非常に高い島であったと。それを受け継いで、この島の小中学校の教育のレベルの高さも県下でも、大島地区でも一番であったと。そして、第六部教育研修会というのを設立して、そこで、与論も、永良部の先生方も一緒になって秋の秋季教育研究会ということで、今もそれが続いているわけなんですね。だから、非常に誇りある島でありました。
 そのようなことを土台にして、子どもたちも愛郷心とか郷土を愛する気持ち、また永良部の生まれであるというアイデンティティの確立、そういったものを基盤にしながら、この郷土の教え、郷土で育てる肝心(ちむぐくる)ということで、これは和泊町の全ての小学校で1年生から3年生まで、学期に2時間、年間に6回の指導計画の下に進めているわけなんですけれども、今のこの郷土の先人に特に関係する部分については、2年生のところで土持政照とか操担勁とか玉江末駒とか、またその人たちが学んだ新進舎とか市来政敏、菅村芳弘、その段階の人物については本当にそれぞれの学校で指導計画を立てて、その中で1時間の授業の進め方まで指導案というのをつくって系統的に、これは系統はありませんけれども、計画的に指導を行っているところであります。
 以上です。
○11番(桂 弘一君)
 今、教育長がおっしゃった玉江先生は、南海の離島沖永良部には、島出身学者の経営する塾が20、維新の頃ですね、遠島人学者の経営する塾が14、合わせて34の塾ができたと。そのほかに、偉大な教育者西郷先生が牢中からその弟子たちを指導した。世界でも最も偉大な塾があったというふうに評しています。
 そういった教育環境がもう明治維新の頃にはこの和泊町にあったということは非常に私としても誇りとするところです。その辺のところ、ちゃんと子どもたちにも教えていくということをしているということですが、重点的に、西郷だけではなくて、島の先人たちのすばらしさ、この町を救ったのは教育なんだというところを是非教えていただきたいなと思います。
 それと、島の歴史を語るときに世之主が欠かせないものなんですが、世之主といいますと、どうしても伝説ということになっています。しかし、ちゃんとした、その当時のことですから、資料がないわけですね。今帰仁にもないということですけれども、ただ、それを裏づけるおもろさうしとか、地名とか、城跡とか、お墓とかがあるわけですよね。そこを、特に城中校区なんですが、学校行事に組み込んで、体でも覚えると。階段を上る、あるいはスケッチ大会をする、たまには一部草抜きなり掃除なりもすると、そういったことも必要なことじゃないかなというふうに思うんですが、教育長、その辺のところ。
○教育委員会教育長(竹下安秀君)
 お答えします。
 私自身も自分が小学校、中学校であった頃に、よく遠足で世之主の墓にみんなで行って、先生から連れていってもらって、そこの中にかめがあって、その中に世之主、四天王が入っているかめなんだよとか、説明を受けたことを今でも覚えております。
 ですので、この世之主のことについては、今ははっきりした生まれた年とかそれは分かりませんで、おもろさうしとか、そういった書物で推定はできるんですけれども、あったことは確かであり、その歴史というのは本当に沖永良部の島の子どもたちにとっても誇りにもなるし、また歴史に興味を持つことにもなりますし、いろいろな意味においてこの世之主の墓とか、また今、城跡、そこでスケッチをしたりしながら、ここに城があったんだという話をまた詳しい人から聞いたりしながら、そのような体験学習、そういったものを取り入れることは非常に大事なことだと思っております。
 それで、これから教育課程に遠足も特別活動の学校行事としてありますので、世之主の墓とか、城跡とか、そういったところへ遠足に出かけたりスケッチ大会をするなど、そんな行事なども大いに学校に奨励していきたいと思っております。
○11番(桂 弘一君)
 ありがとうございます。
 そこでですが、今、内城小学校は学校の遠足ということになるとあしきぶ公園と研修センターに行くんですね。なぜかというと、やはり長い時間いるときにちゃんとしたトイレがないと、そういったことも一つ要因だというふうに聞いております。是非文化財に指定されたその敷地の中にあるトイレ、大分老朽化しているので、是非下のほうに下げて、下の花の里公園にはトイレがございませんので、ちゃんとしたトイレをつくるということも、現実的に学校行事に入れていくということになるとそういったことも必要になるのかなというふうに思うところです。是非ご検討のほどよろしくお願いいたします。
 それと、3番目、1月に和泊・知名両町と沖縄県今帰仁村との友好都市が締結され、協定書が交わされたが、教育行政としてはどのように関わっていく考えなのか、また新たな試みは計画されているかという質問ですが、私もその協定書を交わすに当たって、執行部、町長と一緒に、副町長と一緒に同席させていただきました。本来なら議長が行くところですが、世之主関連、奉仕活動等やっているということで、議長のほうからお前が適任だろうというような言葉を頂いて大変ありがたく思っているんですが、締結に至った経緯というか、今帰仁の心を動かされたのは沖永良部からのラブコールだというふうに聞いています。
 今帰仁のほうでは、永良部について、世之主についての知識を持っている人たちが村民の中にはそれほど浸透していないと。締結に向けてはそういったシンポジウム的なものを、講演会みたいなものをしたと。どれぐらい集まるかなと思っていたら100人以上集まったということで胸をなで下ろしたというようなことを聞いております。
 世之主と言えば、必ず今帰仁と結びつくわけですが、非常にいい協定が結ばれたのかなというふうに理解しているところです。
 また、先ほどありましたような先行してわらんちゃヤンバル体験交流ですか、そういったもの、あるいは和泊町独特のリーダー研修会とか、そういったものはすばらしいものがもう既に行われているというふうに聞いているところですが、私たちのラブコールに応えて締結したということなんですが、以前、向こうが伐開したときに、知名の教育行政の偉い方にどうですか、きれいになりましたね、よかったでしょうという話をしたら、一言、いや、今まで放っておいたほうがおかしいよと言われて、自慢のつもりで話したらそういうふうに一言言われたんですが、今帰仁との交流も深まってくる中で、いかんせん、全体像的な部分、また墓の崩れた部分の、まだ石を集めているだけというところなんですが、教育委員会としましても、やはり自流というか、締結が結ばれたわけですけれども、教育委員会には教育委員会の考えがあり、予算があり、計画書があると思うんですが、こういうことが結ばれたんであれば、全体を変える必要はないんですが、例えば階段の底を直すという面では、城跡あり方検討会の中で決定をしたわけですが、いかんせん、やはりするにしても事前調査が必要になると思うんですが、その本格的な事前調査をしないと本格的な階段の補修ということはできないと思うんですが、予算、人員をそこに急遽割いて、せめて階段はちゃんとしようというようなお考えはないのか。
 それと、お墓の石にしても、石積みの計画を前倒しでやっていこうというような考えはないのかお聞かせ願います。
○教育委員会事務局長(永井 徹君)
 お答えいたします。
 まず、世之主の墓の石積みでございますが、令和2年度に一応予算を計上してございます。県の指定を受けておりますので、県の見解を理解しながら進めていきたいと考えております。
 階段につきましては、あり方検討会で改修すると方向性が決定しております。これにつきまして、どういった階段にするのか、設計ですね、そういったところをどういったものにするのかというのをもう一回検討会を開きまして、それで具体的に令和2年度に進めていければと考えております。
○11番(桂 弘一君)
 局長、令和3年度じゃないの。2年度。分かりました。
 もう一度聞きますけれども、階段の補修は決定はしているわけなんですけれども、本格的にやるにして、その調査はもう必要ないんですか。
○教育委員会事務局長(永井 徹君)
 当然、世之主城跡につきましては事前調査が必要となっております。
 今回、石積み、また世之主の墓の調査をしておりますが、それに並行して、今僅かながら城跡のほうも若干ながら調査をしております。先ほど議員から言われましたように、調査の状況次第では令和3年度に遅れるかもしれませんけれども、そういった調査も当然必要となってきます。
○11番(桂 弘一君)
 是非交流で来られた今帰仁の人たちが、我々が世之主を幾ら語っても、来たときに肝心なところが荒廃していてはなかなか我々の思い、熱量というのが伝わりにくいのかなというふうに思っております。是非前向きな検討をして、早期にできることを要請いたします。
 今回、新聞紙上でも見たかとは思うんですが、交流ということで締結されたということを記念しまして、和泊町の花と緑を育む有志の会の方たちがフクギを植えてあります。一直線にきれいにフクギを植えてあるんですが、そのフクギというのはなかなか育ちにくいらしいんですが、ある程度大きくならないと葉っぱが数によって育ち方が違ってくるというんですが、なかなか丈のある、すぐ育つんだという大きさの木をそろえて買って植えてあります。それも今帰仁のほうから買い付けてということです。
 その植え付けの奉仕作業に桂さんも参加してくれないかということで私も友人と一緒に参加したんですが、その後に懇親会がありまして、懇親会の中で、ある方が私に、桂さん、世之主はその当時、あの城でどんな花を見ていたんでしょうねという質問があったんですよね。なかなか素敵なおしゃれな質問だというふうに思ったところなんですが、和泊町史にも載っておりますが、昔、細い道を上っていくんだという、その頂には赤いシマツツジが咲いていたというようなことが町史の中にも書かれていますが、それはシマツツジでしょうと。我々子どもの頃には山一帯、ところどころにヤマツツジが自生していましたよと。一時、ツツジを掘り起こして自分の庭に植えると、そういったことがはやった時期があって、今はないんですという話をしたら、その中で皆さんが、いやそれはいい話だということで、自分たちであれは挿し木でも取り木でもいけるから、そういうことをやろうよという話がありました。それが1点目です。
 それと、あのグループで植樹や掃除をしていく奉仕作業をする中で、自分たちがそういうことを進めていけば、行政からも幾らかそういった手助けとか、そういったものも実績を残せばもらえるんじゃないかなという発言があったときに、いやいやこれはもう何でもかんでも町に頼るんじゃなくて、自分たちでいざとなったら金を出し合ってでも継続してやっていこうという話がありました。その2点です。これこそ共生、協働だというふうに思ったわけですよ。すばらしい発言だなというふうに、和泊町はすごいなというふうに思ったところです。
 また、大城の方にそういう話があったんだという話をしたら、僕らは中学時代、卒業間近になると赤いツツジが、城中の後ろにはげ山があって、そこにいっぱい咲いていたと。女性の方がそこを折って卒業式に飾ったんだというような話があったんですが、大城のある方が、いや、桂さん、昔自分が取ってきたシマツツジが畑と家の土手にいっぱいあるんだと。挿し木、取り木云々のときには是非声を掛けてくれ、自分たちがやるよという話になりました。
 また、その挿し木、取り木でできた苗木を城中、大城小、和小の卒業生たちに1年前ぐらいから預けて、水をやった中で、記念として城跡近辺に植えていくという流れをつくったらどうだというような話に発展していきました。これこそが協働だと思うんですね。
 是非教育行政の中で、私が頭の中にいつもあるのは、耳の中に残っているのは、教育行政に関わったある方が私に以前、4年ぐらい前に、教育委員会というところは伏魔殿みたいなところで、自分たちが教育行政について一番知っている、余計なことは言ってくれるな、余計なことはしてくれるなというのが教育委員会ですよというふうに言われたことがあります。
 また、民間の教育関係の方から、桂さん、学校の、自分たちを守るために垣根を高くして、壁を高くして、自分たちを守るために壁を高くして、なかなか我々の意見を聞いてくれないと。それと、そういったきつい言葉がなぜどこから出てくるのか、具体的には個別には聞いていませんが、まず子どもたちを守る、子どもたち、子どもたちというけれども、それは枕詞であって、本当はそうは思っていないんだ、自分たちのことが先にあるんだというような意見で、どうにかしてその壁を低くしてくれというような話がありました。
 是非、学校運営協議会は協働の最たるものです。学校で解決できないことがいっぱい出てきています。そこは地域と協働で学校を育てるというところが必要になってくると思います。
 専門家ではない人たちが来るから、耳に痛いことや、ちょっと違うなという部分の意見や行動が出てくるかもしれませんが、そういうことも抱えて解決しながらやっていく、文化財の保護あるいはフクギを植えた景観、そういったものも教育委員会からなぜ一言言ってくれないんだというようなことがあったというふうに聞いています。当然、所管するのであればそういう意見も出るんでしょうけれども、権威をかざすんではなくて、協力ありがとうございますぐらいの感覚で入っていくということで、協働の精神を持った和泊町民がいっぱいいるんですね。
 是非教育行政こそ地方創生なんだ、我々がつくるんだということと、5年、10年先、総合計画あるけれども、その下の基礎的な部分は我々がつくっているんだという自負を持って、それと時勢に合った、予算もない、またいろいろな多様な保護者がいる、価値観がある、そういった中でやっていかなきゃいけない難しい場面はありますけれども、是非町民を信じて、協力を求めるところは求めるというような教育行政をしていってもらいたいなというふうに切に思うところです。
 教育長、世之主があの時代にどういった花を愛でていたんだろうね、なかなか、僕は本当に素敵だと、おしゃれな質問だなというふうに思ったんですが、今話をしたいろいろな経緯について、教育長、いかが考えたのか、ちょっと教えて、感想を。
○教育委員会教育長(竹下安秀君)
 私が小学校時代のことを振り返ってみますと、城ケ丘中学校卒業でしたので、いつも窓際から、海の反対側、北のほうを見ると、世之主のほうを見ると小高い丘があって、そこの山にはツツジがいつも満開に、これからの季節ですかね、あったのを覚えております。シマツツジとか言われましたけれども、あれは和名ではケラマツツジという品種じゃなかっただろうかと今思っていますけれども、世之主の殿様も世之主から下のほうを見れば山、城山の山ですけれども、あの辺りにずっとケラマツツジが咲いている風景を愛でていたんじゃないだろうかと思っております。
 このような風景が、先ほどフクギの植樹もしていただいたという話でしたけれども、新聞でも読みましたが、そのような風景があの辺りに広がれば、また今以上に景観のほうもよくなるのではないかだろうかと、このように楽しみにしているところでありますし、また子どもたちにもそのような心を育てていきたいと思ったところでした。
 以上です。
○11番(桂 弘一君)
 教育行政の中で、例えば城跡をどうするかというような話をするときには、どうしても予算、事務的な話、ハードの話だけになっていくと思うんですよね。民間だからこそ発想ができて、それが実現するかしないかは別として、シマツツジ、ケラマツツジ、県から植樹をもって、そこの、自分たちの育った地域に参加意識を持たせていくというところまでつながっていったというのは、なかなか私はすばらしい機会を得たなと思っています。教育行政、委員会だけで語ってもなかなか出てこない案だとは思います。
 是非、城跡あるいは文化財、あるいは学校経営についても、とにかく垣根を低くしていただいて、ちゃんと話を聞いて、そうじゃないところはそうじゃないとはっきり言った中でのすみ分けをしながら、面倒なところもあるんでしょうが、地域と共に歩む教育委員会、100年後の和泊をつくるのは町長でもなければ誰でもない、教育行政の皆さんがつくっているんだというところを自負を持って教育行政に当たっていただきたいと思います。
 以上で一般質問を終わります。
○議長(永野利則君)
 これで、桂弘一君の一般質問を終わります。